14.下新 神明宮

下新神明宮は、JR磐越西線の新関駅の北東1.5Kmに鎮座している。「神社明細帳」(明治十七年)によると「中蒲原郡下新村字久徳 無格社 神明宮」とある。加筆訂正では「中蒲原郡新関村大字下新字久徳 無格社 神明宮」となる。


当社は、元和年間(1615-1623)の下新村が開発後に創立された。祭神は天照皇大神である。水害の度に移転し、嘉永五年(1852年)に再建した。また、阿部新村に鎮座した神明宮を明治十年(1877年)に合併し、両村の産土神とした。大正七年六月に村社格を得た。祭日は、四月五日、八月二十七日、二十八日(十月一日)となる。


拝殿に「維仁維徳」の額が掲げられていますが、ネットを調べても意味は解りません。「仁」という字は古くから天皇のお名前などに使われており、明治・大正・昭和・平成天皇のお名前にも使われています。又、令和天皇は「徳仁」(なるひと)様です。相当、昔に掲げられた額だと思いますし「仁を持つことは徳を維持する事」、「天皇を敬う事は徳を維持する事」の様な意味で掲げられて居るものかと思います。


拝殿には、写真の様に立派な彫刻が施されて居ます。拝殿と本殿は完全に別個に成っています。本殿へ別にお参りする事も出来る感じになって居ます。



【境内社】 境内社として稲荷神社の石祀がある。「明細帳」に「境内神社壱社 稲荷神社 祭神大宜津姫命 由緒創立年月不明」とある。


【本間家顕彰碑】

神社に向かって右側に立派な本間家顕彰碑がある。下新の本間家は、江戸時代から450年前にこの地に来て開拓している。中でも9代目当主契史、10代目当主の新作の偉業は大きなものが有った。新作は「新潟県の実業界の父」とも言われ、新潟県の主な産業の創業にほとんど参画し、実業家として天才的な才能と手腕を持って居た。新潟に設置された為替会社の頭取に就任、県の農会副会長、藍綬褒章を受章、坂口仁一郎(衆議院議員)、中野寛一(石油王)等にも友人として指導的役割を果たしている。本間家顕彰碑は、神社崇敬の念の強かった本間家を讃えるために建てられた。 数々の事業で成功した本間家顕彰碑もあり、令和天皇のお名前の入った額もある事から、令和時代に事業で成功するには、うってつけの参拝すべき神社なのかもしれません。(byムーミンパパ)