早生寺社柿

この柿の存在を忘れてはいけない(わせじしゃがき)、新保(現在の秋葉区)では大正10年に「早生寺社出荷組合」が結成されると、昭和4年には革新的な「炭酸ガス」による渋抜きを行い全国紙に紹介されると北海道の市場へ出荷されるようになる。その後柿の生産を決断した羽茂町(現在の佐渡市)から視察を受け入れると栽培、生産、脱渋の技術を伝え、販路に北海道市場も紹介した。さらに小須戸の「越後農園」(秋葉区)も接ぎ木、接ぎ穂の指導と応援で「おけさ柿」の生産体制の早期充足を助けた。

竜玄新田(新潟市秋葉区)が原産の渋柿「早生寺社柿」明治5・6年ころ、に発見(枝変わりか?)
大正初期、新潟の商人が買い集め小須戸町の「渡場」から舟で新潟へ運ぶほど人気が高かった。
昭和10年には、出荷量も300トンに達し、矢代田駅から貨車で北海道へ出荷され、組合では花火を上げて豊作を祝った。
柿と言えば  ~渋柿も熟さで秋は暮れにけり~   庭語庵流照(荻川村:現在の秋葉区)の句
柿といえばもうひとつ、「新潟銘菓・柿の種」ビールのつまみ・・・だけでない! 酒もあった・・・