33.川口 諏訪神社

川口諏訪神社は、さつきの駅(信越本線)の北東400mに鎮座している。「神社明細帳」(明治16年)に「中蒲原郡川口新田字河内 村社 諏訪神社」とある。加筆訂正では「中蒲原郡川結村大字川口字河内 村社 諏訪神社」となる。

明治十年三月に村社に請願していたものが、昭和二十年三月に村社に列せられた旨の記載がある。元和八年(1622年)創建の川口の産土神である。祭神は健御名方命、配神は、天照皇大御神、保食人、大物主命となる。祭日は、四月十五日、八月二十六・二十七日(二月十五日、八月二十七日)である。

神社は、可なり広い敷地に建っている。村社諏訪神社の石碑がしっかりと建っている。また拝殿には、諏訪神社の額が掲げられて居る。

本殿は完全に離れて建っており、拝殿から本殿への誘導渡り廊下もあり、その先に本殿への参道がある。

【境内社】
境内社は「明細表」によると三社あり、神明社(祭神:天照皇大御神、創建:寛永四年(1627年))、稲荷神社(祭神:保食神、創建:寛永四年(1627年)、琴平社(祭神:大物主命、創建:正徳四年(1714年))となる。現地では、二社の境内社が本殿の左右に残っており、掲げられて居る文字を読むことが出来ないので、どの神社が残って居るのか全く分からない。恐らく左の写真が稲荷神社で右の写真が琴平社だと思われる。

手水舎が有ります。また、川口在住の人からの寄贈らしいが、見た目の良い石灯籠が本殿への道の近くに飾られていた。

拝殿の隣にしめ縄が張られた木が有るので、恐らくご神木と思われる。何の木なのかは、検索しても解らなかった。

【婆池】
新潟県秋葉区川口にある諏訪神社の片隅に”婆池の跡”と書かれた石碑が建っている。ここに以前あったという婆池の名の由来が伝えられている。
『昔、いじわるなお婆がお寺参りにいきました。その後で嫁が味噌をだそうと蔵の中に入りました。すると味噌桶の上に大きな蛇がとぐろを巻いていました。びっくりした嫁は、すぐさま家に戻り、火箸を真っ赤に焼いて蛇の頭に押し当てました。その時、お寺でお坊さんの説教を聞いて居たいじわるお婆が、「ギャー」とひたいを抑えて倒れました。おどろいた周りの人々が助けおこしてみると、ひたいに焼け火箸を押し当てたようなやけどの跡がありました。お婆は、嫁に大事な味噌を勝手に使わせたくない一心で、その魂が蛇になって居たのでした。お婆は、恥ずかしさのあまり、ここに在った池に身を投げ、大蛇となって、池の底に身を隠してしまいました。』と言う逸話が看板に掲げられて居る。 この池のすぐ近くに改観寺というお寺があるので、婆が行ったのは、その寺と思われる。面白いのは、生き霊が蛇に姿を変えるということで、しかもそれが味噌のためとは、なんともはや、浅ましき婆の話である。それよりも、大蛇に怯えず、焼け火箸を蛇に押しつける嫁もある意味、蛇より怖い鬼嫁とも思える。この昔話は人間の欲の深さを戒める法話として、この寺の和尚がした方便のようなものと思われる。「あまりに欲が深いと、お前も蛇になって婆池の底に住むぞ」と半ば脅すような感じで話していたと思われる。ちなみに、この婆池、今は干上がって跡のみです。主の大蛇はというと、大きくなりすぎて、この池には住めなくなり、信濃川の淵の方に移り住んだと伝えられる。

【荻川小作争議の碑】
神社の前の土手の上に有るバス停の近くに「農民解放の旗ここに翻る」ということで、荻川小作争議の碑文が有った。

【御神楽】
川口神楽=獅子神楽。新津の大鹿より寛永年間に習得したと伝えられる。演目は獅子舞・天狗舞・手踊・某踊・花笠踊・四方舞・鳥さし・麦蒔き。(byムーミンパパ)