大安寺・坂口家の墓所

大安寺の坂口家墓所

東金沢から大安寺の集落に入るあたりに、坂口安吾とその祖先が眠る墓所があります。毎年、安吾の命日(2月17日・安吾忌)には多くの人が墓参に訪れます。

安吾の兄・坂口献吉(1895~1966)が父・仁一郎(1859~1923)から伝え聞いたところでは、坂口家の祖先は肥前(佐賀県)唐津の人で、加賀の大聖寺(石川県加賀市)、越後長岡を経て金屋村に移住したそうです。このことから、自分たちの祖先はかつて陶工だったのかもしれないと献吉は推測しています。

金屋の坂口家の当主は甚兵衛を名乗り、「甚兵衛どんの小判を一枚ずつ並べたら五頭山の頂まで届く」と言われるほどの資産があったそうです。18世紀に入り、甚兵衛家から津右衛門家が分家して、阿賀野川下流の大安寺に移ります。津右衛門家もまた「阿賀野川の水が尽きても津右衛門の財産は尽きない」と言われるほどでした。

二代津右衛門(1722~83)の長男は、津右衛門の名を妹婿へ譲り、自分は友伯(1751~1819)と名乗って分家します。五泉に隠居した友伯でしたが、お人好しで人にだまされて多くの土地を失い、晩年は大安寺へ戻りました。その子・文仲(1780~1846)は医師となって家運を盛り返し、後に悠々自適となって良寛とも交流しました。文仲の孫が得七(1827~1906)、その子が仁一郎、その子が献吉・安吾の兄弟と系譜はつながります(『五峰余影』)。

参考 坂口安吾デジタルミュージアム