園芸産地の誕生

越後、子成場(こなしば)♪ 孫兵衛ドンの柿だ♪ 色もつかぬに客がつく~ (江戸時代の俗謡)

天保7・8年(1835)の大飢饉、「この村一帯は一粒の米も取れず、佛花を栽培して他領へ行き、米麦と交換をしてかろうじて生活を営むもの多く、この頃より園芸大いに発展する」とありました。同じ時代、子成場村(現在の新潟市秋葉区)の孫兵衛と云う人の生産販売した「柿の苗木」が大変評判となりました。県外にまで知れ渡ると「孫兵衛柿」後に「子成場柿」と呼ばれるようになりました。孫兵衛は子成場村(秋葉区)の開拓者との説も・・・(テーマソングまであった人気者!)

青いうちから買い手がつく・・・結構大きな果実・・・確かに喜ばれたのだろう!

明治23年、信濃川の大規模な河川改修により、子成場村は強制移転をされ、現在の位置に・・・

長井家にある原木は、平成5年新津市文化財「天然記念物」に指定されました。(現在は新潟市文化財)

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