ローソクの木

牧野博士に言わせると「リュウキュウハゼノキ」と分類される。その実からロウソクの原料を絞りとるため、江戸時代に熊本方面から移入された。(当初はウルシの実を使った)その昔、会津藩で生産されたロウソクは新発田藩の生産する「塩」と交換されていたが、ちょっとした行き違いから重大な事件に発展してしまう・・・「塩止事件」である。江戸幕府まで動き出し、窮地に追い込まれた新発田藩を救ったのはひとりの家臣「井上久助」であった。会津への塩が滞ったのは「自分が横領したからだ」と主張、自ら罪人として申し出た・・・

新発田藩でも生産を行うようになった。新津郷では水路の堤防で藩の管理下で植樹していた。

新発田藩に取っては英雄、しかし会津藩では罪人として処刑されたため墓に入ることが許されず、妙蓮寺(秋葉区)に眠る父の隣りに五輪塔が建てられた・・・

妙蓮寺山門は新潟市の文化財に指定されています。(本堂との間をJR信越本線が横切る)

吉田千秋

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