水倉(みずぐら)

大河津分水が機能するまで、信濃川の氾濫は大きな脅威でした。こどもたちの身長くらいまでの水没は3年、時には2年に一度はあったと聞きます。いずれも河川の氾濫から米をはじめとした食料、生活資材を守るために建てられたもので、富を蓄えるための「蔵」とは全く別の次元のものでした。似たような建造物が関東地方の荒川や利根川流域では「水塚」、愛知県・岐阜県の木曽三川流域では「水屋」と呼ばれており、人工的に土盛りをした上に建てられています。

小合中学校区に多く見られ昭和50年頃の調査では80を超える水倉が確認されました。

大河津分水が機能し、信濃川の氾濫も減少すると任務も完了、徐々に姿を消す・・・

扉には特殊な細工があり、閉じると「かんぬき」が落ちて自動で施錠される(日本人の知恵はすごい)