03.秋葉町秋葉神社

秋葉神社について記載する事は多く、説明が長く成るのをご容赦ください。現在の秋葉区の名前は、秋葉山が有ったから付けられた名前です。秋葉の名前は桂家が関係して居ます。そして桂家が秋葉神社を作った頃に田家山から秋葉山へと名前を変えています。(byムーミンパパ)

【秋葉神社】
秋葉町の秋葉神社は、JR東新津駅(磐越西線)の800mに北向きに新津の市街地を見下ろすように鎮座している。「神社明細帳」(明治十六年)によると「中蒲原郡田家村字見晴 村社 秋葉神社」とある。加筆訂正では「中蒲原郡新津町大字田家字見晴 村社 秋葉神社」となる。秋葉神社によると宝暦十三年(1763年)9月の創立と伝えられる。(設立の詳細は桂家との関係で解説する。)
祭神は大己貴神(大国主命)、大物主命、菅原道真朝臣である。大己貴命を祭神とする田家の一部の産土神であったが、明治五年(1872年)に村社に列せられた。その時に現在の本殿・拝殿が再建されて居ます。祭日は四月二十四日、九月二十五日です。
防災の神として周辺へ信仰が拡大し、遠隔地からも講を結成して、毎年の祭礼に総代が参拝する事があったという。

拝殿は、石の鳥居をくぐり石段を可なり上がり、ダラダラと登って行く道を暫く行くとある。本殿は、さらに500m位登った所に別個に建っている。拝殿の後ろにも祭壇用の建物が有り、本殿の後ろにも更に祭壇用の建物がある。それぞれ独立した神社でも良いと思われる造りである。
辰年は、能登地震で幕開けしました。防災の神様である秋葉神社のお参りは、効果が高いのかもしれません。秋葉山散策を兼ねて秋葉神社へのお参りは、健康にも良いと思いますので訪れて見て下さい。
【境内社】(合祀されて居るので写真は有りません)
境内に琴平神社(御祭神:大物主命)があったが、明治十年(1878年に焼失したために本社に合併された。また、天満宮(菅原道真朝臣)も昭和58年1月に秋葉神社へ合祀された。

【秋葉神社由緒】
秋葉神社を創建した桂家は桓武天皇の皇子である葛原親王(かずはらしんのう)に始まる家柄であり、葛原親王から数えて13代目に当たる治部卿親輔の子秀行は春日神社を興すため能登国に下り葛原家を興しました。葛原家16代譽秀(たかひで)は越後に移り、善道興野(現、新潟市秋葉区善道町)に住むこととなりました。また「葛原」姓は皇室に由来するものであるため、これをはばかって桂原と改姓し、更に子の代以降は姓を「桂」と称しました。

3代六郎左衛門譽春(たかはる)の代には隆盛となり、新発田藩勝手方御用役を命じられるまでになりました。更に新発田城西門の普請を勤めた功により庄屋格に取り立てられました。宝暦11(1761)年には新発田藩領主溝口候より神社建立のため田家山を賜り、翌々年(宝暦13年:1763年)に祖先より邸内に奉祀してきた秋葉神社をここに奉遷し当地の鎮守としました。これが現在の秋葉神社の始まりとなります。またこのことから従来「田家山」と称していた地を以降は「秋葉山」と称するようになりました。
以来、尊信者は近郷のみならず遠くは津川、三条、新潟、北蒲原方面にまで及び、特に津川町では講を結んで春秋の祭典毎に総代が参拝して神符を受けたといわれます。
現在の社殿は明治3年、本殿、幣殿・拝殿とも桂家の自費により再建され、祭典も代々同家によって行われてきました。しかし昭和39年、神社の管理・運営は桂家から秋葉町内に委譲されました。現在は秋葉3町内(一丁目~三丁目)住民を氏子とし、氏子代表(総代)を構成員とする秋葉神社総代会により管理・運営が行われています。

【手水場、方位版】
手水舎が無く、石だけが置かれた手水場がある。珍しいのは、何処の神社にも無かった方位版が置かれてある事です。方位版は、拝殿の近くに有ります。防災の神様なので、どの方角に火災などが発生しているかを知る為なのかもしれません。

【句碑が多数】
入口の石段を登った所と拝殿までの間と拝殿から本殿までの間が可なり長いので、句碑が4か所位有ったと思う。個人の物も合同のものも建てられていた。

【敦井栄吉翁彰徳碑】
北陸ガスの創始者の敦井栄吉の彰徳碑があった。敦井栄吉が個人で集めた美術品を展示している敦井美術館でも有名です。旧新潟市の有名な実業家の碑が何故ここに在るのか解りませんが、この神社の支持層の幅が解ります。

【祈祥碑】
拝殿から本殿に向かって行く途中に左に少し入った所に祈祥碑と書かれた碑が在ります。この場所は、旧桂家別邸から沢伝に登って来て、急な階段を登った台地に成ります。桂家3代目誉春(たかはる)は ここに観音堂を建て子孫の繁栄を祈りました 孫の5代目成章(なりあき)は 志を継いで寛政11年(1799)この碑を建立しましたが 神仏分離令により観音堂は田家の大善庵に移され この祈祥碑だけが残りました。

【七色の池伝説】

秋葉神社の入り口に有る「七色の池」の伝説について記載します。市杵島姫(いちきしまひめ)は旅の途中、父神、素戔嗚尊(すさのおのみこと)と離ればなれになり、秋葉山のふもとに流れ着きました。父と離れて悲しんでいる姫を七人の仲良しの子供達が慰め、そして楽しく暮らすようになったのですが、ある日、大津波があり、子供達はみな流されてしまいました。そしてそこには小さな池ができていました。姫はその小さな池に小石を投げ込みました。一つ投げると一色の輪、二つ投げると二色の輪、そして七つ投げると七色の輪ができました。その後、その池のことを七色の池とか七つの池とか呼ぶようになりました。

【秋葉神社の左の沢】 ここは旧桂家の別荘があった所です。別荘が有ったのは、道路に面した所の近くだったと思います。道路から見える石段を真っすぐ沢を登って行くと、池や休憩所の有る公園に出ます。良寛の句碑はここに在ります。更に道を進んで行くと秋葉公園のキャンプ場に成って居て、春はミニキャンプを楽しむ人も居ます。左手には、シカが飼われている場所が有ります。右手を見ると急な石段を登る所が有ります。そこを登ると「祈祥碑」が有ります。
噴水公園の場所の駐車場との境目の右手辺りに散策用の地図が置かれて有ります。参考にすると楽しく散策が出来ます。