11.小口 間神社
間神社は、JR磐越西線の新関駅の西500mに形だけ残っている。現在は、写真のように平遺跡(縄文時代)の碑の所に河童の姿の像だけ飾られている。そこに書かれた由緒によると下記のような解説が有った。個人で建てられた神社なので、全国で1社しか無い神社だったと思われるので、無くなったのは残念な感じがします。
【間神社由緒】
昔、間家の下男が能代川で体を洗った馬を小屋に入れたらしっぽに河童がぶら下がって居ました。河童は、何時も川で村人にいたずらをして困らせて居たので、間家の主人が懲らしめようとしたら、必死に謝るので許してやりました。
河童はそのお礼に毎朝川で魚を取り家の戸口に下げて置いた木の鍵につるして置きました。その内、鍵が壊れそうになったので、鉄の鍵を付けました。するとそれから後、河童は来なく成りました。河童は鉄が嫌いだったのです。
しかし、その後、川で河童にいたずらされたり、溺れたりする人が居なく成り、間神社は水除の神様と言われるように成りました。
別の伝承では、河童を懲らしめたのは、「忠右衛門」とされ、「間」との関連は不明です。能代川の流れがこの間神社の辺りで丘陵と川筋が切迫して居るので、水難事故が多くここに水に関わる神社を祭ったのが起源で、河童伝承は別にあったものと思われる。
【平遺跡(縄文時代)】
昭和56年(1981年)新津市に寄って遺跡の一部が発見されました。調査の結果縄文時代中期から後期(3000~5000年前)の竪穴式住居を始め、貯蔵穴等が発見され、出土遺物では縄文土器や土偶が見つかっている。
【間神社の過去のネット情報】
2004年6月のネット記録によると、添付の写真がある。現在現地に行くと石段は無く神社の建物らしきものは皆無である。ネット記録のはタイトルは「河童伝説の有る新潟市小口の間神社(にいがた百景)の通りです。