29.北上 日吉神社(元)

私が勝手に日吉神社(元)と名づけました。「神社明細帳」(明治16年)に記載された北上日吉神社は、神社の大きさなどから間違いなくこちらの神社だと思われます。現在、新潟県神社庁に届け出られている神社は、切所と言われるヘラブナ釣りの池を半分だけ埋め立てられて作られた所に有ります。その神社の紹介は次回行います。此方は、現在、新潟県神社庁に届け出されて居ません。届け出されている池の近くにある日吉神社(現在)と新潟・新津県道を挟んで反対側に鎮座して居ます。

「明細帳」によると「中蒲原郡北上興野字川原 無格社 日吉神社」と有ります。加筆訂正では「中蒲原郡三興野村大字北上字川原 無格社 日吉神社」と成ります。祭神は、大山昨命、天照皇大御神、須佐之男命宇賀魂命に成ります。「明細帳」に境内社として三社が記載されて居ます。神明宮(天照皇大御神)、熊野神社(須佐之男命)、稲荷神社(宇賀魂命)で、全て由緒は不詳です。

こちらの日吉神社には、妙見大菩薩の石碑が有り、猿田彦尊が設置されて居たりします。即ち、下記の言い伝え通り、新津氏が、鬼門の厄除けを目指して、設置されたものと考えられます。

【北上日吉神社の設置理由】
およそ530年前の嘉吉年間に近江坂本の日吉大社の分霊として奉安された。元和九年(1624年)に社殿が建立されている。新津丹波守勝資が、新津城の鬼門に当たるこの地に鬼門除けとして日吉神社を設置したのが始まりです。
【妙見大菩薩とは】
妙見信仰は、インドで発祥した菩薩信仰が、中国で道教の北極星・北斗七星信仰と習合し、仏教の天部の一つとして日本に伝来したものである。「菩薩」とは、本来「ボーディ・サットヴァ」(梵語:bodhisattva)の音写で、「菩提を求める衆生」の意であり、十界では上位である四聖(仏・菩薩・縁覚・声聞)の一つだが、妙見菩薩は他のインド由来の菩薩とは異なり、中国の星宿思想から北極星を神格化したものであることから、形式上の名称は菩薩でありながら実質は大黒天や毘沙門天・弁才天と同じ天部に分類されている。
道教に由来する古代中国の思想では、北極星(北辰)は天帝(天皇大帝)と見なされた。これに仏教思想が流入して「菩薩」の名が付けられ、「妙見菩薩」と称するようになったと考えられる。「妙見」とは「優れた視力」の意で、善悪や真理をよく見通す者ということである
【須賀大神(須佐之男命)とは】
須賀大神は暦神として、また土木建築・悪霊退散・諸難・疫病除けの神として古くより庶民の信仰を集め、霊験あらたかであったと伝えられています。
【猿田彦尊】
日本神話の神。 瓊瓊杵尊 に「にぎのみこと」の降臨に際し道案内をした怪異な容貌の神。のち、伊勢国五十鈴川のほとりに鎮座したという。 日本書紀では 衢(ちまた) の神とされ、中世には、庚申信仰や道祖神と結びついた。(byムーミンパパ)