56.大鹿 諏訪神社

大鹿諏訪神社は、JR信越本線新津駅の西1.5Kmに南向きに鎮座している。「神社明細帳」(明治16年)によると「中蒲原郡大鹿新田字腰廻 無格社 諏訪神社」とある。加筆訂正では「中蒲原郡小鹿村大字大鹿字腰廻 無格社 諏訪神社」となる。

当社の創立は、寛文十年(1670年)で、天明八年(1788年)に現在の場所に移転した。大鹿の産土神で祭神は健御名方命を主祭神として、合殿で天照皇大神と須佐男命を祭る。祭日は、四月三日・四日、八月三十日・三十一日(四月四日、九月九日)である。

拝殿と本殿は、ハッキリと別れて建っている。拝殿の出っ張りから外に出て本殿へと行くことに成る。本殿は、脇から入る事が出来る。左隣に公民館が建っている。

拝殿の造りや本殿の造りを見ると相当に大切にされてきた神社である事が推察される。村社でも良い位の神社である。薬師院という寺が神社の後ろに有る。

可なり立派な手水舎が建っている。

【威徳無彊の額】
拝殿の額には、威徳無彊(威徳無強=いとくむきょう)の額が飾られている。旧新津の神社は諏訪神社の場合は、諏訪宮とかの額が掲げられているのが普通であるが、何故この文字が掲げられているのか?非常に気に成って調べて見ました。「聖恩無響」という言葉が札幌の大通公園などにありますが、考え方は同じで、「天皇の恩恵は限りが無い」という事を意味しているらしいです。大鹿の識者に尋ねましたが、意味は教えてくれましたが、何故掲げられたかは解らないそうです。先に掲載の小戸上組八幡宮の拝殿の隣にある境内社にも、同じ「威徳無強」の文字が掲げられています。上組の神主の家族の人に伺うとこの境内社は、大鹿の村落から合祀されたものであるといいます。同じ額が飾られて居るのは何故なのでしょうか?この額を書いた人は誰なのかと共に謎は深まります。誰か解る人教えて下さい!

【大鹿地蔵様中世石仏(新潟市文化財)】
神社の鳥居の右側にこの石仏が安置されています。この地蔵様石は、実際は阿弥陀如来を刻んだものです。安置された時期や由来は確かではありませんが、年配者の話に寄りますと、若い頃に力比べの盤持石として遊んだ記憶が有るそうです。
大鹿諏訪神社の中世石仏は地蔵様石と呼ばれていますが、阿弥陀如来を刻んだもので、現在は地元の人達によって建立された新御堂に安置されています。高さは地上33センチメ-トル、幅26センチメ-トルの御影石でできています。
この石仏は本町の中世石仏、盛岩寺(大安寺)中世石仏とともに、当時の人々の精神(信仰)生活を知る上で貴重な資料です。

【御神楽】
大鹿神楽=獅子神楽。加賀より伝わったと言われる。その後田家の神楽を手本にしたと言われる。演目は天狗舞・神楽舞・棒踊・四方舞。
下記に大鹿神楽のYoutube画像を掲載する。(byムーミンパパ)

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