吉田千秋と賛美歌

連載吉田千秋の世界」第8回

明治の日本人は西洋の文化をどんどん吸収していきました。この時代になると、ほとんどの賛美歌が日本語に翻訳され歌われるようになりました。

「ドレミ」の音階を五線紙に音符で書くこと自体が、現在ほど一般的ではありませんでした。
賛美歌の日本語の歌詞に合うように、曲の方を作り替えたこともあります。
仏典の一文と賛美歌が見開きページに書かれています。日本と西洋の両方の文化に興味を持ちました。