旧大通川
その名の通り「舟運時代」のメインストリートでした。新潟港へ運ぶ年貢米もこの川を下り覚路津水門から大川(信濃川)へと出て行きました。また農業用水路としても重要な河川であり明治期には帝国大学上野英三郎(農学博士、忠犬ハチ公の飼い主)が30名の学生と共に調査活動をしています。現在は大秋排水機、並びに覚路津排水機を通して信濃川へと排水しています。
小須戸方面(左)からの流れはここで分岐、大秋排水機場(⇑)覚路津排水機場(⇒)へと向かう。
その名の通り「舟運時代」のメインストリートでした。新潟港へ運ぶ年貢米もこの川を下り覚路津水門から大川(信濃川)へと出て行きました。また農業用水路としても重要な河川であり明治期には帝国大学上野英三郎(農学博士、忠犬ハチ公の飼い主)が30名の学生と共に調査活動をしています。現在は大秋排水機、並びに覚路津排水機を通して信濃川へと排水しています。
小須戸方面(左)からの流れはここで分岐、大秋排水機場(⇑)覚路津排水機場(⇒)へと向かう。