55.小戸上組 八幡宮

小戸上組八幡宮は、JR信越本線の新津駅の西2Kmに南向きに鎮座する。「神社明細帳」によると「中蒲原郡小戸新田字上組字浄楽 村社 八幡宮」とある。加筆訂正では「中蒲原郡小鹿村大字小戸上組字浄楽 村社 八幡宮」となる。

祭神は譽田別尊である。祭日は、四月十五日八月下旬の土・日曜日である。元和七年(1621年)の創立と伝えられる。明治五年(1872年)村社格に列せられた。

本殿は、拝殿と完全に別れているが、囲われて居て良く分からない。神社の神主の家族に伺うと本殿の建物は、昔、大鹿に有ったものをここに移したと話しておりこれが合殿された天照皇御大神を祀る建物と思われる。拝殿も小戸下組に有った八幡宮をここに移して作られたものと伺う。

入口の所に「村社八幡宮」の石碑が建っている。石黒忠三という人が建立している。下記に出て来る「敬天愛人」の石碑も石黒ツネさんという人が建てている。大鹿の旧家石黒家がこの神社に可なり影響を与えている。村社格になって居るので、レベルの高い神社と言うことに成るが、元々、大鹿と小戸下組に有った神社を移籍して、レベルを上げて合祀し村社格としたものと推察される。地理的にも納得が行く感じになる。

【威徳無強の額が掲げられた境内社】
最初は、拝殿の左奥に建てられている建物が境内社として合祀したものかと思ったが、掲げられている額を見ると、後日解説する大鹿の諏訪宮の額と全く同じ「威徳無強」と掲げられている。神主の家族の話とも一致して居るので、恐らく大鹿の別の村落に有った小さな神社を合祀したものと思われる。祭られている神様は未確認。

【敬天愛人】 参道の左手には、「敬天愛人」が彫られている石碑が建っている。キリスト教の「神」を儒教の「天」によって理解しようと試みた所産である。中村正直の学んだ中国や日本の儒学在来の敬天思想が、新しくキリスト教の「愛神」の思想に接触して、これを摂取し、深く感化されて「敬天愛人」へと結実したものと考えられる言葉である。西郷隆盛の座右の銘に成っており、有名な言葉である。石黒ツネさんと言う方が建立している。

【忠魂碑】
陸軍大将一戸兵衛書の忠魂碑がある。