坂口安吾の本籍地

坂口安吾の本籍地

坂口安吾が生まれたのは、新潟市の西大畑町(中央区)ですが、その本籍地は「新潟県中蒲原郡阿賀浦村大字大安寺11番戸(現・新潟市秋葉区大安寺509番地)」でした。その場所には、安吾の父・坂口仁一郎(1859~1923)が暮らした屋敷がありました。坂口家がこの場所へ転居したのは、1873年ころのことです。敷地は900坪ほどあり、建物は旧村松藩主の隠宅(隠居所)を移したものと言われています。

仁一郎は早くに新潟へ本拠を移し、1888年の暮れに西大畑町に転居します。庭に7本の松があったので、仁一郎はこの屋敷を「七松居」と名付けました。安吾が生まれたのは、この七松居です。1901年には仁一郎の父(安吾の祖父)で、阿賀浦村の初代村長を務めた得七(1827~1906)も大安寺から七松居の離れへ移ります。そして、安吾の生まれた翌年、仁一郎は大安寺の屋敷を大安寺尋常小学校(後の阿賀小学校)へ譲渡しました。

なお、阿賀浦コミュニティ協議会「阿賀浦地域のお宝さがし」(平成27年8月発行のマップ)裏面にかつての阿賀小学校の全景写真が掲載されています。
https://www.city.niigata.lg.jp/akiha/torikumi/seisaku/combura/index.html

阿賀小学校も1983年に現在地へと移り、安吾の本籍地は空き地となりました。その場所には、旧阿賀小学校の記念碑と門柱などがわずかに残るのみです。
ちなみに、2024年10月に新津で講演した安吾の長男・綱男さんは、自分の本籍地も「秋葉区大安寺509番地のまま変更していない」と語られたそうです(「阿賀浦コミ協だより」第47号、2025年1月25日)。

参考 坂口安吾デジタルミュージアム