09.小口の若宮社

小口の若宮殿は、新関駅(磐越西線)の北西1050mに鎮座している。若宮社(若宮廟)は、小口神明宮の鎮座する観音山公園の山頂に祀られている。「若宮」とは、承久の乱(承久三年(1221年))で敗れて佐渡に流された順徳天皇の第二皇子広臨親王(ひろみしんのう)である。父を慕って佐渡へ渡ろうとした皇子は、鎌倉勢に追われ、この小口の地に至ったが、ついに窮まって自害した。(貞応二年(1223年)、村民が遺体を観音山に埋葬して暫く祭ったという。寛喜元年(1229年)、親王が初めて身を寄せていた能代に神廟を建て「若宮三社大権現」とした。(五泉の能代の若宮社)その後、ここ小口の埋葬地は所在不明と成ったが、元文年間(1736~1740年)に偶然発見されたという。それが現在地である。 五泉市能代の「若宮社」(五泉市能代甲544番地)として神社登録されているためなのか、この場所は、新潟県神社庁に登録されて居ない。「神社明細帳」によると金津地区の合併されている神社の中に若宮宮が多く存在する。また、五泉には神社庁に登録されている若宮社が多く存在する。
「観音山」の名は、広臨親王の守り本尊の観音菩薩を祀るために建てられた観音堂に由来する。若宮社を訪問する時は、観音堂を通るので、観音堂の見学も兼ねられることに成る。また、次に紹介する小口神明宮も同じ観音山公園の中に有るので、見学する所は多い。

【百段坂、若宮御廟】
「小口の観音堂」の右側に若宮の文字が掲げられた鳥居がある。その後ろに階段が若宮御廟まで続いて居る。通称、100段坂と言われる。小口の神能堂も若宮御廟と関係が有るので調べて下さい。登り切った所の左に囲まれた石碑の若宮御廟の隣に若宮社が鎮座する。

【五泉市能代の若宮神社】
参考までに五泉市能代の若宮宮を掲載して置きます。五泉市能代の部落には、若宮宮の反対側に部落の産土神である諏訪神社が有ります。若宮宮は、部落の産土神ではありません。しかし敷地内は、綺麗に整備されて居ます。神社本庁(東京)との関係性でどの様に管理されて居るのか不明です。