16.金屋神明宮

金屋神明宮は、JR東新津駅(磐越西線)の東2.5Kmに鎮座している。「神社明細帳」(明治十七年)によると「中蒲原郡金屋村字南作 無格社 神明宮」とある。加筆訂正では、「中蒲原郡新関村大字金屋字南作 無格社 神明宮」となる。旧金屋村の産土神で、創立は延徳元年(1489年)と伝えられる。祭神は、天照皇大神である。祭日は、四月三日、八月二十二日・二十三日(八月二十七日)である。


明治四十一年(1908年)「新関村大字金屋字梨木田」の諏訪神社を合併した。諏訪神社は永久元年(1113年)の創立で、祭神は健御名方命である。それ以降、地元では諏訪神社と呼称しているようである。祭神は、天王様を祭っていると記載がある。ここも明治政府の神仏分離の政策に習って神明宮として正式登録している可能性がある。諏訪神社の方が神明宮よりも創建が古く、地元では諏訪神社・天王様として呼ばれている様である。


拝殿に額は掲げられて居ない。拝殿と本殿は、そのまま繋がっており、一体型に成っている。


拝殿は、仏堂の様に屋根が高い。平成六年七月に神社の屋根の修復を行っており、その際に出た鬼瓦を境内に置いてある。屋根修復前の写真も添付してある。金屋村落は、神社の創立年を見ても、非常に古いので、この地域の一番古い村落だったことが伺える。確かに土地全体が若干高く成っている感じがする。


【境内社】
境内社として、寺社稲荷が現存している。しんせき「夢マップ」(新関コミュニティー協議会発行)を参照すると昔は、寺社稲荷の隣に九頭竜権現の石碑が建っている写真が掲載されている。(山村家所蔵の写真)現在の九頭竜権現は、記念瓦の左にある石碑と思われる。昔の写真では、台座の上にその石碑がある事に成っているが、現地に行くと探しても台座の上に成って居るのは、寺社稲荷だけである。
神社の敷地に地元のコミュニティーが解説している矢印がある。それを見ると寺社稲荷の方向をさして「九頭竜権現」・「道しるべ」の看板が有る。「道しるべ」は、寺社稲荷の右手の石碑の側に看板が建って居る。そうすると九頭竜権現は、左の石碑を指さして居る事になると思って写真で紹介した。


九頭竜権現の由来は、山村家写真の解説によると以下の通りです。
山村家の先祖は、元和元年(1615年)大安寺の盛岩寺開山の折り、村松の慈光寺13世玄教和尚の伴をし、来村され、この地に幾代にも渡り庄屋を務めて居た。その頃に九頭竜様を信仰し、稲荷様の祠を立て家の守護神としたと伝えられる。霊山戸隠山を源とする「九頭竜権現」は、古くから豊穣祈願の信仰が篤い。

【道しるべ】
記念の瓦の右の大きい方が道しるべだと思われる。「右ハ 八ツ梅 左ハにがた」と記してある珍しいものである。


【秋葉区最古の庚申塔】
写真の庚申塔は、神社の所に有る地元コミュニティーの看板に沿って歩いて行くと見つかる。神社から100m位離れて道の右手にある。秋葉区最古の庚申塔と伝えられる。無病息災を祈願して建立された石碑です。(byムーミンパパ)