37.田島 神明宮(太神宮)
田島神明宮(太神宮)は、荻川駅(信越本線)の南東500mに鎮座している。「神社明細帳」(明治16年)に「中蒲原郡覚路津新田ノ内田島字イハタ江端 無格社 神明宮」とある。加筆訂正では「中蒲原郡川結村大字覚路津新田の内田島字イハタ江端 無格社 神明宮」となる。慶安元年(1648年)、覚路津新田開発後に田島地区の産土神として創建され、祭神は、大日孁貴尊です。祭日は、四月十五日、八月二十四日・二十五日(四月十五日、九月九日)である。
門を入って右に折れて拝殿の方角に向かうことに成ります。
本殿は、拝殿と一体型の飛び出した形に成っています。手水舎が設置されています。
【境内社】
門を入って直ぐの拝殿の右側に建物が有ります。「明細帳」によると同じ場所にあった明治四十二年九月に神明宮に合祀された諏訪社のものと思われます。下記の「引っ越しを嫌った神様」の物語が、神社の境内に掲げられて居ます。その内容からすると合祀された諏訪神社が引っ越しを嫌った神様に成ります。引っ越しを嫌ったほどの神様で、田島の人たちが大切にしていた神様なのに、神明宮に合祀されて居るので、何故なのか良く分かりません。
【引っ越しを嫌った神様】
昔から三枚潟には、神様が有りませんでした。そこでこの諏訪明神様を三枚潟に移すことに成りました。明日はいよいよお見送りと言う前の晩の事、諏訪神社のお宮をお守りしている権四郎の夢の中に、白い着物を着た神様が現れ
「わしは三枚潟に行きたくないのじゃ」
とさびしそうに言われました。
ところが、それと同じ夢を三枚潟の人たちも見たのです。それで諏訪神社さまを三枚潟にお移しすることは取りやめに成り、田島の人々は、今まで以上にお宮様を大切にするように成りました。