60.田家一丁目 神明宮(豊受神社・十二神社)

田家一丁目神明宮は、JR信越本線新津駅の東南東1.4Kmに東向きに鎮座している。「神社明細帳」(明治16年)によると「中南原郡田家村字宮ノ前 無格社 豊受神社・十二神社」とある。加筆訂正では「中蒲原郡新津町大字田家字宮ノ前 無格社 豊受神社・十二神社」となる。(二つの神社それぞれが新潟県神社庁に届け出されて受理されている。)道路から神社までの参道が可なり長く、鳥居も2つ有って、神社が遠くに見える。

2番目の鳥居を超えると、境内が広く成って居て、左側には、令和天皇即位の記念植樹、境内社1、神楽練習場、境内社2、公民館の順に建っている。右側には一切建っていない。2番目の鳥居を超えて参道の右側に松の木があるが、恐らく神木で門かぶりの形に斜めに成っている。

祭神は天照大神と豊受姫命である。配神に大山祇命となる。田家の一部の産土神である。祭日は、八月二十七・二十八日(九月二日)である。前に記載の通り、新潟県神社庁のホームページを検索しても、田家一丁目十四番十四号として「豊受神社」と「十二神社」の両方が掲載されており、何神社なのか良く分からない。地元では神明宮として認識されて居ると理解している。創建年代は不明です。田家から金津にかけての地は、古代から人が住んでいた地だと思われるので、神社の創立年代も古く、逸話など解らない事が沢山ある。

拝殿には、神明宮の額が掲げられて居る。本殿は、拝殿から突き出た廊下で繋がっている。

本殿は、独立した建物がある。本殿の写真を掲載して置きます。

村道は、今は川が暗渠に成って道の下を流れているが、昔は、細い道から川を渡る橋が有って、神社に入って行くように成っていたと記憶している。神社の一番道寄りの所に、「田家幹線道路拡張記念碑」が掲げられている。手水舎はこの入口に有り、ここから約100m位の参道が写真のように長く続いて居る。

【境内社(十二社他)】
神社に向かって左側に3つの建物があり、一番最初が境内社1で、次が神楽練習場、次が境内社2である。最初の境内社には、額は無く手水舎なども無い。二番目の境内社は手水場と鳥居も拝殿も有る。拝殿には三つの神社の額が掲げられているが、判読不能である。「明細帳」に記載されたものとして十二社がある。本殿に合祀されて居るのか?境内社として未だに残って居るのか不明である。

【「半峯 謹書」の石碑】
拝殿の左奥に石碑が有って、「神威赫々護皇基 黎民孳々受多福」の文字が刻まれており、「半峯 謹書」と書いて有る。多分、山口半峯(初代日本諸同研究会会長)の謹書と思われる。山形県酒田市生まれ、一橋大学でも教鞭を取った人と書かれてある。何故、ここに石碑が有るか等は一切解らない。

【御神楽練習場】
境内社1と境内社2の間に可なりしっかりした御神楽練習場と思われる建物がある。中を覗くと、御神楽が真ん中に飾られており、賞状などが飾れている。

【御神楽】
田家神楽=獅子神楽。田家久昌寺再建の資金調達のため、寛政年間から始められた。演目は化粧舞・幕舞・剣舞・四方舞・棒舞・段玉舞・麦蒔きじじ・舞い込み
流石に練習場が有る位なので、伝統はしっかりと守られている様で、最近の奉納した御神楽が有るので掲載しておきます。(byムーミンパパ)

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