70.古津 諏訪神社
諏訪神社は,JR 古津駅の南東500メートルに西北に向かって鎮座する。村道の道から少し入った所に有り神社の反対側は古津の公民館に成っている。周辺は樹木の多い静かな場所で,神社の右側に大きな沼(宮浦堤)がある。

「神社明細帳」(明治十六年)に「中蒲原郡古津村字本村 無格社 諏訪神社」とある。加筆訂正では、「中蒲原郡津島村大字古津字本村 無格社 諏訪神社」となる。健御名方命を祭る古津の産土神であるが,創立年月は不明である。祭日は、四月十九日、八月二十七日(十月二十六日)である。


拝殿には、諏訪宮の文字が掲げられており、本殿は拝殿から長い回廊で繋がっており、拝殿からしか入れない。


手水舎は、階段の下に有る。

神社に有る狛犬は、形が解らなくなるほどに朽ちて「触るな危険」と書かれている。写真を撮ったのは、能登半島地震の前だったので、現在もこの形で残っているか不明です。


神社の右側から降りて行くと宮浦堤がある。可なり大きな堤で自然の灌漑用の堤としての機能も備えていたものと思われる。

【境内社】
この地にもともと神明宮があった。祭神は天照皇大神で,合殿で素盞嗚尊を祀っていた。素盞嗚尊は,初め廣大寺(当社の西南西300メートルにある)の境内に「八坂神社」として祭られていたが,明治二年(1869)に諏訪神社に移され,同十二年(1879)に境内の神明宮に合祀されたものである。この神明宮は、神社の右側にある沼の反対側の左側を10m位下がった所にある。拝殿らしき建物とその後ろに本殿らしき建物が2つある。


この他に、下記の様に合計十三もの神社を合祀しており、ここ1社を参拝すると十三社をお参りしたことに成る。この辺りは、古くから神社が沢山あった所の様で、こんなに多くの神社を合祀した神社も珍しいと思います。
明治四十年(1907),境内の神明宮(天照皇大神,素盞嗚尊)と村内の諸社を合併した。すなわち,字南保の神明宮(天照皇大神),同境内社の愛染神社(武葉槌命),字興野の稲荷神社(倉稲魂命),字高矢の熊野神社(櫛御気野命),同境内社の稲荷神社(倉稲魂命),字南保の若宮神社(仁徳天皇),字本村の道祖神社(猿田彦命),字本村の十二神社(大山祇命),字舟戸の十二神社(大山祇命),字八幡腰の八幡宮(誉田別命)である。さらに明治四十三年(1910)には字山浦の八坂神社(素盞雄尊)を合併した。境内社として残っているのは、初めに有った神明宮の建物だけで、全て本殿に合祀されて建物は残っていない。
【天壌無窮の石碑】
『「天壌無窮(てんじょうむきゅう)」= 天地とともに、未来永劫、いつまでも続くこと。』の石碑が村の神楽をやって居た人たちから奉納されている。

【御神楽】
11年前(2013年)の御神楽の映像が残って居るので掲載して置きます。