10 「坂口三千代の碑」「瞑想」-朝日普談寺
【10-1、「坂口三千代の碑」-普談寺駐車場の山側 2003年作品】

「坂口三千代の碑」は、普談寺に入って行くと駐車場があります。その奥の方にお地蔵さんが見えます。その側にあります。この碑も原田哲男作のものです。坂口三千代は、坂口安吾の奥さんです。坂口安吾の墓は、ホントに立派なものが大安寺にあります。三千代の墓がここにある理由は、調べても出て来ません。
坂口三千代は、自らも作家であり、安吾亡き後も、安吾との間に出来た子供である綱吉を育てあげ、坂口安吾の作品の普及活動をつづけた人です。
原田氏の写真集にある三千代の墓碑のコメントには、坂口三千代との関係が記されています。
「私は、この仕事を三千代のために制作しました。私がとても尊敬する人で、彼女自身小説家で、坂口安吾の奥さんでもあります。彼女の家、生命のやどる生きたモニュメントでもあります」と記されています。

そして坂口三千代の碑には「始めて坂口に逢ったのは新宿の千トセというバーであった(クラクラ日記より坂口三千代)」と書かれてあります。
坂口三千代は、当時の市長である小林一三氏(1991年~2000年新津市長)を訪問して、死んだら普談寺に埋葬して欲しいと頼んだようです。三千代は、1994年に亡くなっているので、1990年頃から日本での活動が頻繁に成る原田氏とも恐らく会っているのではないかと想定できます。クラクラ日記の一文章が墓碑に記されている訳ですから、生前に会ってお願いされている可能性が高いと思います。何故、普談寺に墓があり、大安寺の安吾の墓の近くに無いのかの詳細は不明です。三千代が亡くなってから9年後の2003年にこの作品は作られています。その理由も解りません。生きている小林一三氏は病気になっているとの事なので、聞ける人は、この世にいません。私のようにまた聞きした人はいると思いますが、本当の詳細は、3人しかわからないと思います。
【10-2「瞑想」-普談寺の庭 1999年作】

かって新津市長を三期勤めた小林一三氏が住職で、現職の参議院議員小林一大氏が副住職のお寺です。住職は施設に入っていますし、副住職は東京での政治活動が忙しく、現在は代理の者が寺の仕事を行っているようです。
庭は、駐車場から住居の入口を裏手の方に回って行くと自然に回り込む細い道があって、辿り着きます。庭のほぼ中央に彫刻はあります。住居の入口で断って、「庭の方に回って見させていただきます」と断り、見に行くと良いでしょう。
瞑想は、そんなに大きな作品ではありませんが、見ていると吸い込まれる様な作品です。
【参考:普談寺本堂】

階段を登って行くとある普談寺の本堂の写真を掲載しておきます。昔の澤海藩主の溝口家の祈願所でした。写真の様に戸が開いている事は珍しく、中の掃除をしていました。
文責 赤塚 陽一
