サツキの街
5月(さつき)、この時期に街を歩くと秋葉区が「サツキツツジ」の国内最大の生産地だということに、改めて納得させられる。ツツジとサツキを分離したのは元禄5年(1692)に出版された世界初のツツジ専門の解説書「錦繍枕」で、旧暦の4月までに開花するものをツツジ(173品種)旧暦の5月以降に開花するものをサツキ(163品種)として区分をしていました。(古くから親しまれてきた)
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宝暦6年(1756)の越後名寄せには「杜鵑花」と書いてサツキと読んでいました。「杜鵑鳴時始テ開く故ニ名ヅク(ホトトギスが鳴く時期に開花する)」ことからこのように記載されており、「近年、品類甚多し」とありこの頃には「種類も多くなり記録できない程」とありました。
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秋葉区では戦前(大正の頃)からサツキの生産はありましたが、果樹園の周りの植え込みに使われる程度でした。その後、昭和30年(1955)頃から始まった高度経済成長の波にのり、昭和40年(1965)頃にサツキブームが到来します。もともとこの地域はアザレアなどのツツジ類の生産があり、挿し木の技術もあったこと自動潅水、地温ボイラー等の導入による技術革新で短期間の増産を可能としました。
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昭和44年(1969)~昭和48年(1973)に生産のピークを迎え、年間の生産量は250万~300万本にまで増えていきました。現在でも根強い人気があり、毎年開催される「さつきまつり」には、県の内外からも多くのファンの方々がこの地を訪れています。
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平成3年(1991)JR信越本線、新津駅の隣りに開業した新駅も「さつき野」と命名されました。しかも駅周辺に開発された町名もその後「さつき野」と改称されたほどでした。