救未溺碑
小阿賀野川と能代川の合流地点は舟運の時代には三差路として渡し船で荻島、大蔵、木津(江南区)が結ばれていました。安政5年(1858)10月、不幸な事故が発生しました。亀田(江南区)の市に行った新津の人達が帰りを急ぐあまり、渡し舟の船頭の制止を無視して制限を超えた人数が乗り込み、24人中4人が溺死するという出来事でした。
文久2年(1862)荻島の名主、長沢保敬がこれを悼み、同時に後人を戒めんがために建てた碑が県道脇に今も建つ、その文字は朽ち時の流れを感じる・・・
その後「荻島-大蔵」「大蔵-木津」に橋が架けられたが、度々の洪水に損傷も進み、幾度か修復、架け替えも行われ・・・現在では永久橋となり、交通の要衝となっている。
「荻島-大蔵」を結ぶ橋は「大島橋」と名付けられた。木津側の渡場公園から能代川を見る
普段は浪もなく穏やかな流れだ・・・