追悼 『柳都』の大野風柳さん

新津美術館から新潟県埋蔵文化財センターへ向かう道の途中、史跡古津八幡山遺跡の登り口近くに、「ふるさとの 風に道あり 花の種 風柳」と刻まれた文学碑が建っています。この碑は1998年、川柳雑誌『柳都』の創刊50周年を記念して建てられました。

大野風柳川柳文学碑

この川柳の作者である大野風柳(ふうりゅう、本名は英雄)さんは、2025年11月6日、97歳で亡くなりました。風柳さんは、週刊「新潟蒲原」の主宰であった大野風太郎(かぜたろう、本名は貞一、1938~2018)の叔父に当たり、1928年に新津で生まれました。1948年に旧制長岡工業専門学校(現・新潟大学工学部)を卒業し、北越製紙へ入社しました。

その年の11月、会社勤めのかたわら、新潟県内の川柳愛好家に呼び掛けて川柳結社・柳都川柳会(後に柳都川柳社となる)を創設し、20歳でその主幹となりました。そして、月刊の川柳雑誌『柳都』を創刊しました。こうして、川柳作家として活動しながら、北越製紙退社後は新潟県生産性本部に勤務し、後に人材育成コンサルタントとしても活躍されたそうです。

風柳さんは、2010年から17年まで川柳結社の全国組織である全日本川柳協会(日川協)の理事長を務めました。しかし、近年は体調を崩され、創刊時から主幹を務め続けた『柳都』を2025年1月号で終刊とし、柳都川柳社を解散してまもなくの逝去となってしまいました。

ご冥福をお祈りいたします。