ボタン

奈良時代に薬木として中国から渡来したとされ、平安時代には観賞用として寺院や宮廷で栽培されるようになり、江戸時代には庶民にも広まりました。新潟での商業生産は江戸末期、文政の頃(1818~30)または万延年間(1860~61)に私たちの住む秋葉区で始まったとされています。昭和のはじめこの地を訪れた野口雨情は「よそちゃ見られぬ小合の牡丹 乱れ咲いてもいろのよさ おいて眺めに見物に」と詩っていました。

長尾次太郎(草生園・秋葉区)は明治30年頃から新品種の育成に力を注ぎ新潟ボタンの半数、約60もの品種を作成しました。

花卉販売目録:新潟市新津図書館所蔵

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