臼井橋

信濃川にかかる橋のひとつ、秋葉区と南区を結ぶ「臼井橋」は現在で三代目となる、かつては赤渋(南区)と子成場(秋葉区)の間で「渡し舟」による往来でしたが、大河津分水の完成により水量が安定したことで昭和2年(1927)1月に初代が木橋として竣工しました。昭和39年(1964)6月の新潟地震では、当時の白根市域の信濃川に架橋された4箇所の道路橋梁のうち、木橋としては唯一落橋を免れましたが、揺れにより木橋は大きく蛇行し臼井寄りで一部欠損したため板を渡して歩行のみ可能という応急の状態となりました。この時、臼井橋を経由する新潟交通の路線バス(新津-白根)は橋梁の両端部で運転を打ち切り、乗客は橋梁部を徒歩で渡り、対岸で待つバスを乗り継ぐという考えられない不便をしいられました(新しい橋になるまでの6年間も続いた)。

2代目の橋梁は昭和46年(1971)に完成しますが、秋葉区側の取付部が堤防から河川敷へ一旦下りた上で橋梁部に至る潜り橋となっており、増水した場合使用不能となるなど問題もあり、主要地方道新津白根線が国道460号へ指定変更されたことで平成27年(2015)10月、三代目の橋が開通しました。

橋脚は2本が流路に立つ、他の8本は陸地に立つのだが、この陸地部分はかつての子成場村の跡地で、ここに130戸の集落があった。明治23年、信濃川河川改修工事により河幅を広げるため強制移転をさせられた・・・という歴史も、その後大河津分水の通水により水量が現在の状態となり、再び陸地となり、花卉園芸の耕作地として知られるようになりました。

歴史

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